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今回の聴きどころ

第94回(2024年2月)




 前回の曲目は、イタリア、スペイン、ドイツというバラエティに富んだ国の作曲家の作品でしたが、今回は、ベートーヴェン、モーツァルト、シューマンと、ドイツ系の作曲家の作品を集めてみました。

◆シューマン(の交響曲)はお好き? ~交響曲第1番「春」
 サガンの小説のタイトルではないですが、シューマンの交響曲はお好きでしょうか。シューマンほど好き嫌いが分かれる作曲家はいないかもしれません。その原因は、主にオーケストレーション(管弦楽法)にあると言われています。シューマンの交響曲は、オーケストレーションが稚拙と言われ、過去に多くの指揮者や作曲家によって手が加えられてきました。マーラーが改訂したマーラー版はその最たるものです。しかし、シューマンの交響曲がこのような「先入観」にとらわれた扱いをされていることに悔しい思いをしている「シューマニスト」も多いのではないでしょうか。

 確かにシューマンの交響曲は、複数の楽器に音が重ねられ、管楽器が吹き詰めで常に多くの楽器が鳴っている印象があります。結果、弦楽器は音量を増すため刻みが多くなっています。しかし、これらの印象は、シューマンの色(カラー)であって、特徴、すなわち「シューマンらしさ」であり、好き嫌いはあるにせよ、これをもってオーケストレーションが稚拙だということにはならないと思うのです。つまりこれは、水彩画と油絵のどちらが優れているかを議論するようなもので、オーケストレーションの優劣を判断する基準とは別の次元の問題です。

 スコアを細かく見ると、シューマンのオーケストレーションには、他の作曲家にはない独自な面も多いです。それは、特にヴィオラなど内声に表れています。ヴィオラ奏者に聞くと、シューマンの交響曲はヴィオラの使い方が独特で、弾いていて楽しいと言います。確かにヴィオラは、旋律こそほとんどありませんが、伴奏の中で独特の動きをして重要な役割を担っています。音を刻むときも、普通の作曲家は同じ音で和声を形成する役割しかありませんが、シューマンの場合は、その和声の刻みが動いて旋律や裏旋律になっていることが多いのです。もちろんこのことをもってオーケストレーションが上手いとは言えないかもしれませんが、少なくともヴィオラに後打ちしかやらせないワルツの作曲家よりは稚拙ではないでしょう。

 オーケストレーションはさておき、シューマンの交響曲が後代の作曲家へ多大な影響を与えていることは、忘れてはならないでしょう。第1番「春」の第2楽章や第3番「ライン」の第1楽章の途中には、階名で「ド-ソ-ミ-レド-」というモチーフが出てきます。ブラームスの交響曲第3番の主題は、このモチーフが使われています。これは、シューマンへの敬意の表れだと考えられます。また、シューマンの第1番の主題になっている「ターンタタ・タ・」というリズムは、第4番などにも多用されていますが、シューマンが好んで使ったリズム(シューマン・リズム)です。ボロディンの交響曲第1番は、シューマンの影響を受けていると言われていますが、特に第4楽章の主題にこのシューマン・リズムが使われています。さらに、チャイコフスキーもシューマンを尊敬していた作曲家の一人で、シューマンを称賛する言葉を残しています。交響曲第3番「ポーランド」は5楽章形式ですが、これは同じ5楽章形式の「ライン」の影響と思われます。特に第2楽章と第3楽章(ゆったりとしたドイツ風舞曲と緩徐楽章)の構成は「ライン」によく似ています。このように、音楽史上、シューマンの交響曲の影響を受けている後代の作曲家は多く、その影響力は意外と大きいのです。

 シューマンの功績はほかにもあります。シューマンは、1839年、ウィーン滞在中にシューベルトの未発表の長大な交響曲(グレイト交響曲)の手書譜を発見し、世に知らしめます。その2年足らず後に書かれた交響曲第1番には、このグレイト交響曲の影響が少なからずみられます。実は、第1番のオーケストレーションには、前述の「シューマンらしさは」それほど表れていません。これは、同年に作られた第4番の初稿版(1841年版)でも同じことが言えます。我々が「シューマンらしさ」という固定観念を持っているのは、おそらく第3番「ライン」や第4番(改訂版)の影響だと思われます。

 第1番の完成の前年、シューマンは困難を乗り越えてクララと結婚し、人生の絶頂期にありました。この曲の初稿では、「春」という標題が付けられ、各楽章にもそれぞれ春にちなむ標題が付けられていました。ところが、シューマンは出版の際に、それらの標題を削除してしまいます。その理由は、「標題音楽のような先入観」を持ってこの曲を聴いて欲しくないからだと言われています。現代では「春」と呼ばれたり、呼ばれなかったりしていますが、当団では、(人生における春を表した交響曲という)「先入観」を持って聴いて欲しいので、あえてこの標題を付けています。(前述のことと矛盾しているかもしれませんが。)

◆モーツァルト(の短調の交響曲)はお好き? ~交響曲第25番ト短調
 今回、中プロも聴きどころです。モーツァルトの交響曲の中で短調の曲は、わずか2曲(全体50曲として4%)しかありません。一つは有名な第40番で、もう一つは今回演奏する第25番です。どちらもト短調という共通点があります。宮廷音楽がメインの時代に短調の曲を書くのはなかなか難しいことなのでしょう。交響曲の短調率を比べると、ハイドンは11曲で約10%、ベートーヴェンは2曲で約20%、それらと比べてもモーツァルトの低さが分かります。ちなみにロマン派になるとこの率はぐっと上がり、ブラームスは50%、チャイコフスキーは約80%、ラフマニノフは100%と高くなっています。

 この曲は、1985年に日本で公開された「アマデウス」というモーツァルトを題材にした映画の冒頭、サリエリが自らをナイフで切り付け、担架で運ばれていくというショッキングなシーンの挿入曲として使われたことで、一躍有名になりました。ただ、今の若い人はこの映画の存在さえ知らないかもしれませんね。この曲が使われたテレビCMもあることはあるのですが、短調ということで、それほど多くはありません。

 この曲は、有名な割にはアマチュアのオーケストラではあまり取り上げられません。その理由は、難しいということもありますが、楽器編成に問題があるからです。管打楽器は、フルート、クラリネット、トランペットとティンパニがなく、オーボエ、ファゴットとホルンのみで、しかもホルンが4本(G管2本とB管2本)必要という変則的な編成です。(短調の曲の場合、当時のナチュラルホルンでは主和音に出にくい音があるため、少なくとも2種類の調性の管が必要でした。ちなみに第40番ではG管とB管が1本ずつ使われています。)二管編成の当団にとって、降り番の団員が数多く出る曲というのは、なかなか選曲が難しく、これまで演奏会で取り上げることができませんでした。今回、どうしてもこの曲を取り上げてみたいという思いから、降り番の楽器の奏者たちを説得し、了承を得て実現することになりました。非常に貴重な機会ですので、是非聴きにきていただきたいです。

 この曲は、ト短調で4楽章形式、ホルンが4本という構成ですが、この調性と構成はハイドンの交響曲第39番ト短調と同じことから、この第39番の影響を受けていると言われています。しかし、シンコペーションで始まる第1楽章の主題は、ハイドンが1768年に書いた交響曲第26番ニ短調の第1楽章とそっくりで、モーツァルトはそこからインスピレーションを得ていると思われます。なお、ハイドンの第39番は自筆譜が残っておらず、写譜に書かれている1770年の作品とされてきましたが、最近の研究で第26番と同じ時期(1768年頃)に書かれたという説が有力になっています。もしかすると、この2曲の短調の交響曲は続番の交響曲だったかもしれません。第44番ホ短調と第45番嬰ヘ短調のように。モーツァルトは同時期にこの2曲の短調の交響曲を聴いて影響を受けたのではないでしょうか。
 

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