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今回の聴きどころ

第88回(2021年2月)



2020年はベートーヴェン(1770-1826)の生誕250周年に当たるため、各地でベートーヴェンを取り上げる企画も多かったはずです。(実際はコロナの影響で中止を余儀なくされた演奏会も多かったようですが。)当団では、第83回演奏会(2018.9)の交響曲第1番を皮切りに、前回第87回(2020.9)の第4番まで、ベートーヴェンの交響曲を順番に演奏会に取り上げてきました。(第84回を除く。)今回はいよいよ交響曲第5番「運命」の登場です。前プロはモーツァルトの歌劇「魔笛」序曲ですが、この2曲については説明を要さないと思いますので、「今回の聴きどころ」は、演奏される機会の少ない中プロのシューベルトの交響曲第3番に焦点を当ててみました。

シューベルトの「イタリア交響曲」〜交響曲第3番ニ長調

◆ディマンシュとシューベルト
 シューベルト(1797-1828)が弱冠16〜21歳(1813-1818)のときに作曲した初期の交響曲(第1番〜第6番)は、有名な第7(8)番「未完成」や第8(9)番「グレイト」に比べると知名度が極端に低く、演奏会に取り上げられる機会も少ないのが現状です。これらの交響曲の楽器編成はトロンボーンなしの二管編成で、小編成の当団にはピッタリなのですが、2019年2月の第84回演奏会で第2番を取り上げるまで、当団が演奏したのは第4番「悲劇的」のみでした。

 演奏される機会の少ない、珍しい交響曲を積極的に取り上げてきた当団の演奏会でシューベルトの作品が少なかったのは、特殊事情があったからです。当団の重鎮の一人に大の「シューベルト嫌い」がいて、選曲会議においてシューベルトの曲が挙がると、同人が「拒否権」を発動させて潰してきたのです。確かにシューベルトの管弦楽曲は、メロディは美しいのですが、オーケストレーションに問題があり、おいしいパートとつまらないパートがはっきりしていて偏りが顕著です。アマチュアのオーケストラとして、演奏会費を払ってまでやりたくないと思う人がいるのは無理からぬことです。このメンバーの気持ちも分からないではないのですが、我が儘といえば我が儘ですよね。

 ところがその重鎮、理由は分かりませんが、近年表立ってシューベルトの選曲に反対しないようになったのです。それどころか、前述の第84回演奏会の選曲会議では、自ら第2番を推してきたのです。そのためその演奏会では久々にシューベルトの交響曲が選ばれたのですが、このときから当団においてはシューベルトが解禁され、大手を振って演奏会に取り上げることができるようになったのです。シューベルト・ファンの皆様、お待たせしました。

◆イタリアの香りのする交響曲
 交響曲第3番は、シューベルトが18歳の1815年に完成した曲で、「悲劇的」と呼ばれる次の第4番とは対照的に若さ溢れる明るさに満ち、喜劇的、楽天的な曲です。特に第4楽章にはイタリア舞曲タランテラ(風な曲)を配置していることから、イタリアの雰囲気も合わせ持った曲です。メンデルスゾーンはイタリア交響曲の第4楽章にタランテラを配置していますが、もしかしたらこの曲からインスピレーションを得ているのかもしれません。

 筆者は、初めてこの曲を聴いたとき、むしろ第1楽章にイタリアの作曲家ロッシーニ(1792-1868)のオペラの序曲の影響があるのではないかと感じました。特に主部の第2主題は、ロッシーニが1812年に書いた「幸福な錯覚(L’inganno felice)」という歌劇の序曲(同年トランペットを加えて「バビロニアのキュロス(Ciro in Babilonia)」という別の歌劇の序曲に転用)にそっくりだからです。(このことは筆者が調べた資料等にはなく、あくまで個人的感想です。)このオペラは、1816年11月にロッシーニのオペラとして初めてウィーンで公演され、ウィーンにおけるロッシーニ・ブームの火付け役となっています。

 なお、第2楽章と第3楽章は、どちらかというとドイツやオーストリアの古い歌曲や舞曲を連想させ、残念ながら「イタリア風」とは言えないでしょう。

◆シューベルトとロッシーニ
 ただ、この曲がロッシーニの影響を受けているということについては、否定的な意見もあります。前述のとおり、ウィーンでは、1816年にロッシーニのオペラが初めて公演され、その後大流行します。そのオペラのウィーン初公演が、この交響曲の作曲時期より後に当たることがその理由です。シューベルトは、当時、アントニオ・サリエリ(1750-1825)というイタリア人の作曲家(モーツァルトの映画でライバルとして登場する人物)に師事しており、イタリア風なのはサリエリへの忖度だというのです。しかし、サリエリの管弦楽曲はオペラ以外ほとんどなく、そのオペラは1801年を最後に書かれていません。1815年に書かれたこの交響曲とは時代的なギャップがあり、作風が全く異なります。もちろんサリエリの影響は少なからずあるかもしれませんが、やはりロッシーニの影響と考えるのが妥当でしょう。ウィーンでの大流行以前であっても、シューベルトが何らかの形でロッシーニの序曲に接して、知っていたという可能性は否定できないと思われます。

 ちなみにシューベルトは、1817年に「イタリア風序曲」という演奏会用序曲を2曲書いています。このうち第1番は「ロザムンデ」序曲の原曲で、第85回演奏会(2019.9)で当団が演奏しています。この二つの序曲は、ウィーンでロッシーニのオペラが大流行している最中に書かれ、ロッシーニの序曲の影響は明らかです。


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